12/22(土)雨
今年も後10日
師走の連休に突入も無難に仕事する私。
夜には宴を開催し語るは2012我FedEx野球部の勇姿。
別に悔いはないが記憶を振り返りながら2012を飲み込む私。
創部14年目は「北は長野、南は静岡」のスタンス激戦開始。
胸に『FedEx』腕に『塩尻市』を・・・そして背中に『男』を背負い、
「自由と女とそしてファミリーのため」をモットーに戦う紫の義勇軍。
2011年限りで井手(#37)部長が監督の座を勇退。
覇権争いを制し6代目FedEx野球部監督に君臨する我らが菅浩司(#9)。
煮えたぎる魂が伝承され生まれ変わった2012我FedEx野球部。
2012年始動は三崎神社にて必勝祈願し『突破』を誓った1月。
流山高校・順天堂大学で朝から走り回りFedEx陸上部に改名。
まだ雪降る寒さに負けず日本工業大学では合宿モードの2月。
紅白戦で猛烈アピールするも失敗の連続で屈辱を味わった『FedExバント』。
待ちに待った決戦の到来で菅(#9)監督初采配の3月。
初戦の獨協戦は8-17で敗北と最悪スタートも2戦目NMB戦で初勝利♪
静岡大会・長野大会に出陣も勝ちきれなく連敗の4月。
『美斉津の乱』が勃発の大混乱で40イニング無得点という伝説を記録。
男の戦場、都市対抗に挑み2連敗で1次予選敗退の5月。
この月は全敗と都市対抗敗北なのに泣かず笑顔の選手が印象的。
隣の国では都市対抗2次予選もノーゲームノープランの6月。
無駄に時間だけが経過し救世主を待ち望んだ暗黒時代。
都市対抗本選を目撃するも調子が上がらない7月。
日本選手権を目の前に不安を感じていたのは言うまでもない。
茨城遠征2連敗も確かな手応えで挑む日本選手権の8月。
準決勝敗退も都市対抗とは違い全員の頬に流れた熱い悔し涙。
天下取りに沸いたプロアマ交流戦も雨に泣いた9月。
公式戦も既に終わり涙の日本選手権が最終戦となった皮肉の話。
今年最大イベント佐倉市野球教室を開催した10月。
子供達の笑顔を勝ち取り大人達は笑顔で勝ち取る来年度予算。
運動会や那須野球と引っ張りだの11月。
見事に期待に応えたかは微妙だが大いに紫の存在をアピール。
来年のスケジュールも決まり契約更改の12月。
2012年度我FedEx野球部通算成績は23戦6勝17敗・・・
来年に向けスタート今この瞬間も奮闘中♪